「ブラ紐なんて気にしない」オーストラリアの女性たち

私は今メルボルンでワーホリをしています。
生活していると「日本人女性」である自分から見ればびっくりすることがいくつもあるんですね。

そのうちの一つが女性たちのファッションです。

私がメルボルンに住みはじめた11月はまだ寒く、しっかり長袖を着ている人が多かったのですが、季節が暖かい方へ向かうほどにどんどん服の面積が小さくなり(オーストラリアは南半球なので、日本とは季節が逆転しています)、夏場の女性のファッションには毎日驚かされました。

まず一番驚いたのがブラ紐の扱いです。

日本の女性としては、ブラ紐は他者に見られてはならない、絶対に隠さなければいけないものですよね。私はブラ紐を隠すために、暑くても必ず上から肌着を着ますし、首元がしっかりと詰まった服を選ぶようにしています。白い服なんかはそもそも買わないようにしていますし、最悪透けてしまっても目立たないように、ブラジャー自体の色も肌色に近いものを選んで購入しています。

そんな私がメルボルンを歩く女性たちを見てびっくり。ブラ紐、思いっきり見えてしまっています

そして本人たちは全く気にしていない様子。ノースリーブの横からはみ出していても、「そりゃブラしてるんだから紐も見えるだろ」と、見えてしまうことが当たり前のような着こなしです。

そしてもう一つびっくりしたのは、周りの人の目です。

見えてしまっていても、男性も女性もその下着を凝視しません。女性同士で「見えちゃってるよ」と教えてあげているところに遭遇したこともないですし、見えていることに驚いている人もいません。そもそもブラ紐を他者から見られることを恥ずかしいとは思っていないんですよね。というか、「いやらしい目」で見られないんです。

では、私は何が恥ずかしくて、着たい服や下着の色まで制限していたのでしょうか。

下着の選び方について初めて考えなければならなくなったのは、中学生の時でした。
「白かベージュのみ。それ以外は禁止。」という色指定のルールがあったからです。下着が透けるのを防ぐためのルールでした。当時の先生には、「この歳の男子はみんな見てるからね…気をつけてね。」なんて言われて、私たちが自衛しなければいけないように感じました。こういう教育が、痴漢をされてもなぜか被害者が責められる構図に繋がっているんだろうなと今は感じます。

大人になるにつれ、「ブラジャーは一部であっても絶対に見えてはならない」という認識がいつの間にか当たり前になっていました。出かける前に見えていたら、「見えてるよ!」と母が教えてくれて、「危ない危ない〜」とできるだけ内側にしまい込んだりもしました。

そうやって一生懸命、ブラ紐を隠すことを無意識に自分に課してきました
だから、メルボルンでの光景に驚いたのです。

見えてもいい。見えても当然。だってブラジャー付けてるんだから。

そういう自信が、当たり前のように彼女たちが身につけてきた感覚が、眩しく感じられました。とても羨ましいと思いました。

だって、好きな服を選べるんです。下着も「透けたらどうしよう」なんて考えずに買えるんです。ちょっとだけ首元が開いたシャツを着た日、「見えていないかな」なんて気にして洋服の位置を戻す必要もないんです。何も気にしないで、好きな服に身を包んで出かけることができる。なんて晴れやかなのでしょうか。

だからって今日からブラ紐を気にせず生きていけるわけではないですが、縛られる必要のないものに縛られていたのかも、と自分を客観視できただけでも楽になりました。暑い日でもブラジャー付けてるんだから、ブラ紐が見えるくらい仕方ないだろ!って感じですよね。

オーストラリアの女性たちの姿を見て、日本の女性たちが縛られている現実や、不必要に課されているものに気づくようになりました。今日のブログは、気づいたことの一つです。私たちは、もっと自由になっていいと思います。このブログが誰かの助けになりますように。

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